1月16日の日記

2007年1月16日
冬になって、おもしろいドラマのシーズンが始まった。
   
 
24は2日連続2時間ずつのプレミア。最初はいつもよりも迫力ないかなぁと思ったけど、最後でやってくれたという感じ。涙も流してしまった。今後も期待できそう。そしてHerosの2シーズン目も始まる。このドラマ、最初はばかにしてたけど、なかなか面白い。なんとなく、あらすじは”幻魔大戦”に似ているような。日本人が出ているのも見ものだ。しかもこの人、ゴールデングローブでノミネートされている。日本人といえば、りんこなんとかっていう人は、バベルでノミネートされてましたね。最近日本人が結構活躍するようになったみたい。
 
 
そしてはずせないのがロスト。これは2月まで始まらないけど、とても楽しみ。先が読めなくて、謎が多くて、はまりまくり。ちなみにDVDは全て購入。一番好きなドラマ。
 
 
Gray’s Anatomyは、ちまたではとても噂になっているドラマである。ゴールデングローブでも、ドラマ部門で賞を取った。ちゃんと見たこと無いので、何がそんなにおもしろいのかわからないが。病院での、恋愛物(不倫あり)みたい。とにかくすごい人気だ。でももう2シーズン見逃してるから、今更ね。。。
 
 
勉強を始めなくちゃいけないので、テレビはほどほどにしないといけないけど、毎年冬になると、毎日3時間ずつくらい余裕でテレビ閲覧に費やしてしまう。アメリカのテレビは、昔に比べて面白くなったと思う。が、誘惑に負けないように、気をつけないと。

1月13日の日記

2007年1月13日
夫の新しい仕事先でのオリエンテーションは、2週間目が終わった。月ー金で泊りがけで、金曜日の午後に戻ってきた。最初は寂しかったけど、久々の一人暮らしで、結構悠々自適で心地いい。はっきりいって楽である。料理は全くしないし、好きな時間にワークアウトも行ける。でもやっぱり寂しいけどね。
 
 
夫の初給料が今日出たみたいで、ご飯を奢ってくれた。夫が支払いをするのなんて、どれくらいぶりだろうか。なんとなく、手厚く育てた息子がやっと一人立ちして、初めての給料でプレゼントをくれたみたいな、そんな誇らしい気持ちになった。こういう事を言うと、夫はまた”ばかにするな”と怒るから本人には言わないけど。
 
 
プロジェクトマネージメントの資格を受けるために必用な事項がいくつかあって、その中の一つに、35時間のプロマネに関するEducationを受けるというものがある。これがくせものだった。この手のトレーニングを受けさせてくれる所は、大学やコンサル会社などたくさんあるのだが、プロマネの資格をとるような客相手なもんだから、破格に高い。1日1000ドルとかもざらである。資格が取れるのかわからないし、それどころかテストを受けさせてもらえるかもわからないのに、そんなInvestmentはしたくないなぁ。。。と半分あきらめていたら、オンラインでのトレーニングでとてもいいものを発見。価格も200ドルちょっとととてもリーズナブル。PMの機関にも承認されている会社だし、ちょっと光が見えてきた。
 
 
プロマネの資格は、今の仕事のITだけでなく、どのエリアにも通用する。マネージメントの方法は、知っていて損はない。だから、次の就職活動をする前に、これだけはとっておきたいと思っている資格だ。一般的にも、PMの資格をとっておくと、給料も9000ドルくらい違うらしい。といっても、まぁポジションにもよるんだろうけどね。
 
 
今の会社は楽でいいけど、正直もういいかげん息がつまりそうになる。周りの人間のレベルの低さに。。。これ以上いても、楽な環境に慣れてしまうばかりで、自分にとっては全くプラスにはならないだろう。1月中に就職活動を始める予定だったけど、PM資格の状況によって変わるだろうな。。。
 
 
なんだか、忙しくなってきそうだ。

1月8日の日記

2007年1月8日
夫は新しい会社のオリエンテーションの2週目で、今夜また出発した。といっても、ダウンタウンだからここから20分程の所だが、皆ホテルに泊まっているのだ。朝が早いし、トラフィックがすごいので。
 
 
行く時、”ななも一緒に泊まりに来る?”と聞いてきた。”あたしだって仕事あるのに、行くか!”というと、”来るっていったじゃーん(涙)”と。まぁまだ、心に余裕があるのだろう。今後オリエンテーションが終わって本格的に仕事が始まったら、こんな事も言えなくなるかもしれない。
 
 
私は、週末スケジュールが狂うので、日曜の夜は大体睡眠剤を飲んで寝るんだけど、最近薬を飲むと胃がやられるので、今日は飲めない。ただでさえ生理中で、腹痛の薬だけはいやでも飲まなきゃいけないから。先日はそれでも、ナロンを飲んだだけで、胃ががんがんに痛くて夜中何度も起こされた。なんとなく体調がやばそう。。。
 
 
さてと、資格を取るための準備を始めなければ。。。

1月3日の日記

2007年1月3日
いろいろないやな事から逃げている自分がいる。わかってるんだけど、どうしても問題解決をしようとする意欲がわかない。。。
 
 
だから、次のステップにも進めない。。。
 
 
特にいらいらしているわけではないけれど、全くHappyではない毎日だ。きっと、今の私の目は死んでるんだろうな。

1月2日の日記

2007年1月2日
年が明けた。
 
 
3連休は最悪だった。夫の友達が、5日ほど遊びに来ていたのだが、最終日に飛行場に送って行くくらいから、なんとな〜く体の具合が悪い。寒くてしょうがない。夫とくだらない事で帰りの車の中で口喧嘩中から、体調は最悪。これはやばいと思って、家に帰って体温を測ると、38.2度。こんなに高熱は久しぶりだ。元旦の今日は、なんとか持ち直して、一応お雑煮作ったり、大掃除出来たけど、せっかくの休みがぁ〜。
 
 
最近はだめだ。先週は仕事が忙しい事と、夫の友達の接待と、忘年会など重なって、体力消耗した所に、風邪の菌にやられたのであろう。ジムにも通っているにもかかわらず、体力が衰えている。。。はぁ。。。
 
 
夫は明日から、再就職である。いきなり3週間の泊りがけトレーニング。週末は帰ってくるけれども。彼にとって現実が始まる。
 
 
それに伴って私の生活も調整しなければならない。家事も半々。
 
 
それを考えると、どちらか一人が家にいるのって理想かも。。。

12月26日の日記

2006年12月26日
クリスマスの3連休は、いろいろと忙しかった。
 
 
初日は、イブの日にはご飯を食べに行けそうも無いという事で、外食をしに外出。途中、ビバリーセンターでお買い物。夫や私の仕事着などを購入。かなりの出費。。。ご飯は、LAでもっとも”ロマンティック”なレストランを予約。だが、ご飯自体はそんなに美味しくなかった。のわりには、200ドル近く取られ、”もういかない!”と夫と同意。

二日目は、買い物の日。まずクリスマスプレゼントをくれた職場の人たちへのお返し。夫の仕事着の足し。その後、食物の買出しに。夫の友達が明日から来るので、家でご飯を作れるように。とりあえず魚介の鍋と、すきやきができるような材料を購入。帰りにラーメン屋でラーメンを食べ、イブを祝う。
 

三日目である今日は、ディズニーランドへ。本当はイブに行く予定だったけど、7時までしかやってないという事で、日にちを変更したのだ。いやぁ、人は多かった。。。でも、ディズニーとカリフォルニアパーク二つをかけめぐって、とても楽しかった。夫は、カリフォルニアパークの方は初めてだったので、楽しんでいたみたい。でも、ホラーマンションで、乗る前に夫がしばらく沈黙で、私は機嫌が悪いと思いまた喧嘩になりかけたんだけど、実は夫は乗り物に乗るのが怖くて緊張していた事が、後になって判明。なんだよー、そんなに怖かったの!?言ってくれればいいのに!その後は、ローラーコースター系は、私一人で乗って、夫は下で手を振っていた。かわいい。。。エレクトロカルパレードを見て、クリスマスのイルミネーションを満喫して、とても楽しい一日でした。
 
 
3日間ずっと夫と一緒でした。レスの問題も解決し、心置きなく楽しめました。今後は、夫の仕事が始まるなどから大変になるので、ここで二人の関係を良好なものにしておかなくちゃ、と、二人とも思っているのはあると思うけど。なにより、以前に比べたら、格段に関係は進歩しているのが感じられ、今後も頑張ろう、と心に誓ったのでした。

12月21日の日記

2006年12月21日
YouTubeというサイトのオーナー二人は、とても若くしてサイトを立ち上げ、成功したという記事を見たので、どんなサイトかチェックしてみた。
 
 
つまりは、個人が自分が録ったビデオをサイトに載せられるというもので、結構面白い。が、その中に、歌手のピンクが出ているビデオがあって、ショッキングな内容で参ってしまった。内容は、世界中の羊を救おうという、プロモーションビデオなんだけど、羊毛や食用とされる為に飼育されている羊を、人間がいかに残虐に扱っているか紹介しているのである。
 
 
夜中にみるものじゃなかった。はっきりいって物凄いショック。人間ってあんなにも残虐になれるものなんだ。画像が頭に焼きついて離れない。ああいう事が出来る人間は、どういう神経をしているんだろうか。動物を物としか思っていないのだろうな。またそういう教育しか受けてこなかったのだろう。情けないけど、仕事なのだろうし、どうしようもない事実だ。
 

動物虐待を少しでも減らす為に出来る事をしようという意思があるピンクという人を、見直しはした。こちらでは、あまり良い印象がなかった、というか、そういうふうにしかメディアが紹介しないので。そういう事実を改善しようと、率先して活動するのは、本当に良い事だと思う。
 
 
自分一人が動いても、状況は変わらないだろう。でも何も出来ないのは本当にむなしい。あまりにもショッキングすぎて、寝られなくなりそうだったので、また眠剤を飲んでしまった。

12月19日の日記

2006年12月19日
次のステップの事であせり始めている。
 
 
今の仕事を早く辞めてやりたいんだけど、だからといって次に何をするべきかが決まらない。大学院に戻りたいけど、いまさら理学を勉強する事に、正直自信がない。そして、将来その道で食っていけるのかも、定かではない。第一、金にならない職種だし。一番安定な道はそれこそ、このままソフト導入路線でつっぱしっていく道だろう。でも、どうしてもそれは私がやりたい事じゃない。
 
 
大学卒業してから、10年ちょっと。随分遠回りしてしまった。もうすぐ34歳。キャリアの転換というには、あまりにも大きすぎる”変化”である。でも、だからといってこの10年間、無駄には過ごしたわけじゃない。大学院だって行ったし、修士は2つとったし、有名企業でも働いて自信がついた。大学卒業する時は、”ニューヨークキャリアシーン”を読んで感動し、ハローしか言えなかった私が、”私もアメリカの大企業のコンサルやるんだ!”と言っては、周りに”なんか言ってるよ〜”と白い目で見られてた。結局、4年後には実現したんだよね。
 
 
でも、結局、夢は捨てられないという事だ。死ぬ間際になって、”あぁ、やっぱりあれやっときゃ良かった”と思う人生にだけはしたくない。トライもしないのに”出来ない”と決め付ける事だけは絶対に。だからこそ、一つ目の夢はかなったけれども、どこかでふに落ちない自分がずっといたんだ。いや、その道にいってみて、だんだん確信してきたのかな。
 
 
来年3月の誕生日までには、今後の進路を決めよう。とにかくこんな感じで、だらだらいくのだけはだめだ。
 
 
いくつになっても、いろんな事にチャレンジできる。それがアメリカの素晴らしい所なんだから。怖がらずにいかなきゃ。

12月14日の日記

2006年12月14日
やばい。。。体中に発疹ができた。
 
 
体調も悪い。どうしたんだろう。ストレス。。。しか考えられないな。
夜は寝られないし、その為に薬飲んでるし、酒も止められないし。
 
 
これ以上悪くなったら、会社休んで病院行こう。。。
 
 
というか、一週間くらいなにもしないで寝ていたいんですが。

12月10日の日記

2006年12月10日
先週、夫と話し合いをしてから、夫との関係が良くなってきたような気がする。
 
 
私が”いやだ”という事は極力言わなくなったし、とても優しくなったし、ハグやちゅ〜などのスキンシップも多くなったし、寝ている時は常にどこか触っているし、とても心地がいい。きっと、夫の変わりよう感じて、私もとても素直に接している部分があるからだと思う。相乗効果ってあるんだな。
 
 
相変わらず、レス状態だけど、これはまぁ生理中という事で。。。おいおいね。二人の関係が良くなっていけば、そっちの方もきっと改善していくはず。この関係を出来るだけ保てるように努力したい。
 
 
やばい。12月も半ばに差し掛かっている。
1月一杯で仕事を辞めたいけど、次のステップが見えてこない。というか、それを決める為にリサーチする時間を持てていない。
 
 
今の仕事の延長でキャリアアップの転職をするのか、やりたい事をする為に動くか。。。とにかく勉強する時間は必用になってくる。どうしたもんか。。。夫との関係が改善され始めてから、気持ちに余裕が出来てきた今、本腰入れて取り込まなくてはいけない課題だ。
 
 
あぁでも、また父親と仲直りしてない。はぁ。。。人間関係の問題が、一番いやだよ!

12月5日の日記

2006年12月5日
ぶっちゃけた話になるが、最近夫とレス気味で困っている。
 
 
先日、不満げな私は夫にその不満をぶちまけたが、夫は私の事を女として見れないんだそうな。え〜。。。まだ33なのにそれはきついよ。
 
 
全くないわけではないけれど、そればっかり言われるとプレッシャーになり、嫌なんだって。まぁそうかもしれないけど、じゃあどうしたらいいんだよ。いろいろネットでは調べたりしてるけど、悩んでいる人もやはり多いのですね。そりゃ同じ男女がずーっと一緒に時間を過ごしてりゃ、あきるわな。それに、ある意味恥ずかしさみたいなのも出てくる。あまり知らない人の方が、へんな羞恥心なく大胆になれるっていうのは、ある意味面白い事なのかも。
 
 
いろいろ話て、私の言い分もわかってくれたみたいなんだけど、夫は今勉強の最終段階だし、来年からは再就職始まっちゃうし、今後ますますソレどころじゃなくなるっていうのが、私は怖い。
 
 
私は逆にどちらかというと、ソレはソレ、コレはコレ、というタイプなので、エネルギーは別に使えます。プラス、熱しやすく冷めやすい、というのもあります。夫は初めて、こんなに長く一緒にいる人だけれども、これがあきない。一緒にいて、正直楽しいです。夫にはソウは言わないけどね。
 
 
夫はどちらかというと、ソレに関しては”冷めてる”タイプ。ずーっとしなくても大丈夫なんだって。でもきっと、魅力的な人がいたらすぐらんらんになるんだろうな。というか自分でもそういい切ってたし。夫の幸せの為には、別々の道を歩んだ方がいいんじゃないのとも言ったけど、私に支えて欲しいんだって。よくわかりません。男心が。
 
 
あーあ。どうしたらいいのかな。しばらくほっとけばいいの?

12月1日の日記

2006年12月1日
すっごく寒い。
 
 
ロスでこれほど寒くなるなんて。引っ越してから3年目だが、初めてだ。荷物になるだけのセーターもろもろなど、全部ひっくるめて倉庫にしまってしまったが、”あぁやっぱり残しておけばよかった”と思う日々である。私は寒くなると、冷える為か、足がつってしょうがない。この間は両足ともにつってしまい、激しい痛みに泣きそうになり、浴槽にお湯をじゃーじゃー流してしばらく足をつけていたけどそれでも治らなかった。これじゃシカゴなみだ。。。といっても、シカゴにいたらこの寒さなんて、逆に暖かいくらいに思うのだろうけれど。
 
 
最近また夫との関係がぎくしゃくしてきたように思える。夫はそう思ってないみたいだけど、私の、”別れる”節が出始めた。これはだめだと思い、夫にいつも、私がいやと思う事はしないで、と言っているのに、夫は止めない。基本的に私をからかいつづける。笑い飛ばせばいいと思うかもしれないが、もうそれがあまりにもしつこい。だからお互いにからかいつづけて、しまいにはそれが発展して、相手のことをけなしまくりになるんだけど、夫はそれでもけらけら笑っている。けど私はいやだ。もっと普通の安定した関係にしたいのに。夫はちゃんと向き合ってくれない。
 
 
基本的に甘えん坊なのかもしれないな、うちら二人とも。どちらかが、例えば長男、長女だったらよかったかもしれないけど、私は一人っ子で、相手は末っ子だから。それでも状況的に厳しい方をどちらかがうまくバックアップするとか、そういう良い関係を築きたいのに、そんな大人の関係にはなれそうもない。最近本当にストレスが溜まってきた。
 
 
夫は今学生で一日中家にいるから、ストレスはない方だと思うのに。。。1月から仕事始まったら、一体どうなっちゃうのだろう。不安でいっぱいである。
 
 
母親からのChatのメッセージが入っていて、少し安心した。生きているとわかっただけでも良しとするか。
 
 
思えば母親は、ずっと今まで大変だったんだろうな。
父と私は似ているから、喧嘩するとどっちも折れないから、母親のみが中立役だった。3人しかいないから、これで姉妹でもいれば違ったのだろうけれど。
 
 
今日は絶対にワークアウトに行きたい日だったのだけど、仕事場にいる人の人生話につきあってたら時間を見失ってしまった。彼女は香港人なのだけれど、Emergencyが起きたのでしばらく実家に帰るというので、どうしたの?と聞くと、妹が乳がんになったのだとか。手術はもうすんだが、キモセラピー(抗がん剤)をこれから受けるのだとか。
 
 
乳房をなんとか全部切り取らないようにした場合、例え腫瘍を全部切り取っても、その後の処置、いわゆる抗がん剤の投与はしなくてはならないみたいだ。たとえ転移していなくても。気の毒だなと思いつつ、こわくなった。医者によると、アメリカでは40歳になるまで、乳がんの定期検査は保険ではカバーされないという事。でも、40以下の人だってたくさん乳がんになっているのに。特に私みたいな人間は、自分でさわったところでわからないから、不安だ。私なんて大酒のみだし、タバコは吸うしで、最悪である。
 
 
でも、なったときはなったときかな。普段生きていてもつまらない事ばかりだから、早死にしてもいいや、っと思う時も多々ある。こういう事いってはいけないのわかっているが、この日記は私の心の逃げ場だから許して。
その後日本にいる両親は、Chatを全くONにしていない。。。
 
 
生きているんならそれでいいけど。今の状態ではどっちにしろ、時間が必要だしな。。。
 
 
サンクスギビングも終わり、明日からまた仕事か〜。はーあ。
昨日友達のお家に遊びにいって、食べ過ぎた。何故か、ものすごく食欲旺盛である。少し食べると、もういいんだけど、その後2時間くらいですぐおなかが減る、という調子。で、おなか一杯の状態で寝ると、体調が悪い。。。生理前でもないんだけど、どうしたのかな。へんなの。
 
 
まじで、まじで、仕事したくない。。。 
 
 
管理部の部長が、私がグリーンカードをGetした事をやっと知ったらしく、私が辞めないかと心配しているらしい。結局、グリーンカードしかえさがない会社という事を自分で言っている事になる。まぁ、そうでしょうね。ビザやグリーンカードのサポートでしか、つれないのでしょう。
 
 
今後の自分の進退問題についても考えなくちゃいけないのに、心配事(今は親との事)があるとどうしてもそこにエネルギー使ってしまい、なにもやる気がおきなくなる。だめだなこれじゃぁ。
2年くらい前に、私をよく苛めた会社のいやな女が、今度はターゲットを変えて違う女性を苛めている。
 
 
正確に言うと、苛めているというよりもそいつは、何か自分の気に食わない事をされると、その相手に対して一転して態度を変えて、しかと攻撃にはしり、名前の呼び方を変え、挨拶も返さず。。。という、中学生なみの行動に走る。現在ターゲットになっている子は私と仲が良いので、いろいろと話をするのだが、そのいやな女の話で最近盛り上がる。。。というか、話を聞いてあげて、ストレス発散に手伝っている。
 
 
一緒に話をすると、一緒になってそいつの悪口を言ってしまう事になり、結構、言ってしまっていやな気持ちにもなる。私の中では、”彼女が話す事でストレス発散になれば。。。”と思ってやっている事でも、後になると、一緒になって悪口を言っている自分を振り返ると、自分も相手と変わらないな。。。と思ってしまったり。
 
 
うちの会社は、そういう噂話が好きな人間が多い。特に女性陣はそうだ。皆と仲良くしたいから、一緒になっていろんな話をするけれど、というか、そういう話をしなくちゃいけないみたいな衝動にかられるんだけど、そんな風になっている自分が、最近はいやでたまらない。
 
 
アメリカの会社で働いていた時は、少なくともこんなくだらないことで悩まなかった。。。これってまるで私が日本にいた時みたいだ。そんな人間がたくさんいる今の会社。足の引っ張り合いだ。
 
 
テレビで、”Family Man"をやっていた。あの映画は何度見てもいい。ある日突然起きたら、全く違う人生を歩んでいて。。。って、それは一瞬の夢だったんだけど、あの時ああしてたらこんな人生になっていたって、そんな経験したい。というか、いろんな事をやり直せたらどんなにいいか。
 
 
やり直したからといって、全てうまくいくわけではないけれどね。過去や現在のいやな事全てを、抹消したい。。。って思うのです。

11月20日の日記

2006年11月20日
帰国時に親と喧嘩してから、親との関係は最悪である。
 
 
とはいっても、アメリカに戻って来てから、Chatをほとんどしていない事から判断しているのだが。父親と喧嘩したので、普通であれば中立役の母親が、Chatでいろいろ話し掛けてくるのだが、母親でさえなにもいってこない。
 
 
父親に対しての怒りが爆発した私が、親子の縁を切る!というと、”それでもいいんじゃない”と言った母親。それも信じられない。普通言うか?どんな状況でも?
 
 
うちの両親は、なんの為に子供産んだんだろう?小さい頃から、母親には小学校年少組の頃から、塾だの習い事だのを強制され、したくもない受験を何度もさせられ、父親は、ちょっとでも悪い事をすると、今ではきっと虐待と判断されるほどに殴られた。私は一人っ子なので、喧嘩すると、両親が組むことが多く、私には行き場がなかった。両親が喧嘩する事も多く、一度喧嘩すると、父親の性格から、元通りに戻るのに何ヶ月もかかり、その間がとても苦痛だった。何故か今回の父親との喧嘩で、このような事を思い出す事が多くなり、物凄く腹立たしい。もちろん楽しい思い出もあるし、感謝している事もたくさんあるのだが、”ここまでしなくても?”と思うような事がたくさんあった。私のこの性格は、そのように育てられた経路と密接に関係してるのではないか、と思わずにはいられない。 
 
 
留学したいという理由のうちの半分は、”家から出たい”というのがあったからだ。日本国内じゃだめだ。海外じゃないと。だって、日本だとどこにいっても”監視されている”という気分になってしまう。まぁ結果的に、留学は私にとって良かったと思うけれど、
 
 
夫と子供を作る事について話す時、”まだいらない”という夫に対して、”私との子供欲しくないの?”と文句を言う私だが、はっきりいって、子供は好きじゃないし、欲しいと思わない。今後も欲しいと思うか疑問だ。それは私が、子供時代にとてもいやな思いをしたからなんじゃないかと思う。
 
 
苦痛だ。ここ最近親の夢ばかり見る。夢の中でまで喧嘩している。起きると体が重く、疲れがどっと溜まっている。発狂しそうだ。でも両親に対しての怒りは、以前収まらず。かといって、両親が突然死したりなんかした時は、後悔しそうな気がしたり。
 
 
はぁ。。。どうしたもんか。カウンセリングにでもいこうかな。

11月18日の日記

2006年11月18日
やばい、時差ぼけがなおらない。。。
 
 
仕事が久々に忙しくなりそうだ。来年の1月1日から稼動すべき新しいシステムの機能がたくさんある。まぁといっても、残業ばかりするのは絶対いやなので、どうにか6時半までに帰れるようにスーパー集中力で仕事をこなしていくつもりである。今の会社で”頑張る”のはもぅお断り。残業代払うっつうなら別の話だけどね。

それにしても日本にいる日本人はよく働く。今回帰った時に会った昔の友達は、平気で午前様や徹夜をしているらしい。しかも、みーんなだ。女性男性関係なく。よくもつなぁ、体力。私は無理。でも、慣れなのかしら。
  
 
そういう意味では、”Quality Of Life"が重視されているアメリカの生活は悪くない。まぁ、残業しないで帰ってきても、ジムにいくか、テレビみてるかで、大した”Quality” の高い事をしているわけではないんだけどね。

11月13日の日記

2006年11月13日
時差ぼけで死んでいる。
 
 
木曜日に帰ってきて、金曜日に出社し、眠くて頭がまわらず、土日は完全に朝晩が逆になってしまった。今は日曜の夜。睡眠薬を飲んでいるが、なんせ起きたのが夕方なもんで、眠くならない。やばいなぁ。
 
 
年を取る毎に時差ぼけが治るのに時間がかかってきているような気がする。
 
 
両親(特に父親)とは、その後特に連絡をとっていない。気まずいよなぁ。まぁいいのかな。しばらくはほっておいて。時間が解決してくれるかな。
 
 
仕事がしばらく大変になってきそう。就職活動も始めたいと思っているが、溜まった仕事を片付けるのにしばらく労力を費やさないといけないかも。やってもつまらない仕事なんだけどね。私にはなんの得もないしさ。ま、仕事なんてそんなもんか。
日本から戻ってきました。無事にグリーンカードとれました。
 
 
日本には約2週間ほどいたけど、結構過密スケジュールで大変だった。おまけに、父親とまたまた大喧嘩し、後半はほとんど家出状態であったので、友達の家や旦那の実家を渡り歩いて、結局実家には帰らずじまい。今回ばかりは本当に頭にきたので、クールダウンするのに相当時間がかかりそうだ。
 
 
帰国翌日、大使館指定のブリティッシュクリニックに行き、身体検査を受ける。身長、体重測定、視力検査、そしてレントゲン。その後血液検査で、ここでは、HIVと梅毒を調べられる。私達は時間がなかった為、8500円程の追加料金を払って翌日サービスを頼んだので、結果は翌日にわかる。しかし、1000人に一人の割合で、血液検査に間違った結果が出る場合があるらしい。この場合は、再検査を要し、これには約2週間かかるらしい。そうすると、私達の場合大使館での面接が間に合わなくなるので、ひやひやだった。私はMMRをアメリカで事前に受けたので、予防接種は免除されたが、予想どおり夫は2本の予防接種を受ける必要があり、15000追加(だからアメリカで受けとけっていったのに!!!)。それと触診。ブラとバンツだけになって、看護婦のいない場所での触診だったので、アメリカではありえない!と思ったが、2秒くらいで終わり。ちなみに先生は、イギリス人のおじさんだった。二人で合計約9万円なり。
 
 
翌日夕方、血液検査が無事終了との報告があり、夫が結果のレントゲン写真と書類を取りに行く。大使館の面接には、この”開封厳禁”の封筒を持っていかなくてはいけない。面接日前日には、夫と二人で書類を確認し、コピーもとって、準備万全にした。
 
 
翌週月曜日、いよいよ大使館での面接。まず二人分の申請料金、1510ドルをクレジットカードで払う。この日は、全てのブースが”Immigrant Visa"専用であった。つまり移民申請専用。以前に他のビザで行った時には、”非移民用ブース”もあったので、日によって違うのだと思った。合計、3回ブースに呼ばれた。最初は、書類提出。必用な書類を確認される。私達は、いざというときの為に、関係書類を全て持っていったので、ほとんどの書類は”必要なし”と返却された。たとえば、自分の金銭能力を証明する、納税申告所などは、家族呼び寄せ時の移民申請には必須だが、抽選の場合は必用なし。アメリカでの結婚証明書(マリッジライセンス)も、戸籍謄本でカバーされる為、必用なし。夫の学歴証明書も必要なし(これは、私が当選した本人なので、審査されるのは私のみであるから)。結局、必用最低限の書類ですんだって感じだ。うちらがここまでの書類を揃えて持っていったのは、事前に大使館に有料サービスの電話で質問した時に、”持ってこなくてはいけません”と言われていたからなのだ。

今さらながら思うが、あの大使館の電話での有料サービスは、高い料金をとるわりには、対応する人間の知識があまりなく、アドバイスが間違っている事が多い。たとえば、”無犯罪証明書”など、アメリカからのも必用とはっきり電話では言われたが、実際は、”アメリカからの犯罪証明書は不必要”とはっきり大使館のサイトに書いてあった。金取るのに、なんという無責任なアドバイスだ!!! まぁ、何かトラブルがあった場合に、関係資料は多ければ多いに越した事はないので、持っていって損はないだろうけれども。 
 

2度目は、指紋をとられる。そして、3度目に呼ばれた時に、面接本番だ。この時だけ、アメリカ人の女性に面接された。最初に、”英語がいいですか、日本語がいいですか”と聞かれ、”どちらでも”というと、”では英語で”と言われ、その瞬間から態度ががらっとかわったように思う。悪くなったわけではないが、日本語の時はやはり、優しい口調なのだ(私達の前に面接した人たちへの対応をみた感想)。文化の違いだなぁと思った。うちら以外は、ほとんど日本語での面接だったようだ。面接では、最初に宣誓させられ、その後は大した事は聞かれなかった。”どうしてアメリカの移民になりたいのですか?””ご両親はあなたの移民希望についてどう思われていますか?””アメリカ内で何度か引越しされているようですが、どのような理由からですか?”などなど。約3分くらいで終わっただろうか。”あなた方の書類に問題はありません。Congratulations!あなたの申請は承認されました”と言われて終わり。この時、パスポート返却まで1週間ほどかかる可能性があると言われたが、実際は次の日の朝10時ごろにはついた。
 
 
この面接から思うけれど、結局は、書類審査みたいなものだなと思った。面接時に他のものより厳しくチェックされたのは、銀行の残高証明書だったように思う。ある程度の貯金があれば、”アメリカで夫婦二人でしばらく暮らすのに充分な預金がある”とみなされ、OKだが、もしも預金がないと、それではどうやってアメリカで暮らしていくのか、証明する必要があるのではないだろうか。そこでたとえば、仕事がすでに決まっている人は会社からのOffer Letterを見せるとか、その時点で関係書類が必要になってくるのかもしれない。私は一応ある程度の預金があったので大丈夫だったみたいだ。アメリカが一番いやがるのは、生活能力の無い移民を、税金で養わなければならないという事だろうから。しかし抽選でグリーンカードがあたった人たちには、他のプログラムに比べ、審査基準も低く設定されているようだ。ある意味、一番楽かもしれない。
 
 
いざロスからアメリカに入国する時、最初は他の日本人と同じ”外国人用ライン”に並ばさせられたが、その後別のラインに行くように言われ(別室ではなかった)、そこで指紋をとられ、サインをさせられ、開封厳禁の書類を渡して、パスポートにスタンプもらって終わり。公式のグリーンカードを貰えるまでには、約6−8ヶ月かかると言われた。
 
 
はれて移民としてアメリカに入国したが、実感がない。。。本当にグリーンカードがとれたんだろうか???本当にVisaの心配なして転職出来るの???
 
 
目的は果たせたものの、今回の帰国は疲れた。一番の原因は、親との喧嘩。この年になって情けないけれど、いまだうちの家族には喧嘩は絶えない(特に父と私)。ほんとうに疲れる。有給とっていったけど、はっきりいって休んだ気がしない。転職したら、次の職につくまえにしばらく休みをとって、ぼーっとする時間を持ちたいなぁ。
 
 
とりあえず今は、時差ぼけぼけ。なおるのにしばらくかかりそうだ。

10月27日の日記

2006年10月27日
弁護士むかつく!!!!!!
 
 
こういう時に限って、文句いいたい時に限って、夫がつかまらない。日本に帰っている時はたいていそうだけど。。。
 
 
。。。全く、どうして金が無い人間から金をむしり取ろうとするんだろう。大体、弁護士の言葉ばかり使うんじゃないっつうの。こっちは一般庶民なんだよ。しかも、英語が母国語じゃないっつうの。
 
 
移民ビザの弁護士のくせして、移民から金をむしり取るな!ちゃんと仕事やってから、取れ!というか、頼んでもないコトを勝手にやって、”仕事したんだ”っていうな!!!
 
 
明日電話で話すまで、むかむかがとまらない。話してもらちがあかなかったらどうしよう。ちきしょう。
 
 
落ち着けー、落ち着けー、判断が狂うぞ。

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